NPO法人 神奈川県障害者自立生活支援センター

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3.11 当日

2011年3月11日、いわき自立生活センター、(以下、いわきCIL)その日はいつも通りの日常でした。
14:46 当時は聞きなれない音が携帯から鳴りだし事務所のスタッフと確認しあっていると、目の前のノートパソコンが大きく揺れ出し、気が付いたら、私は車いすから降りて、机の下に隠れていました。揺れがものすごく長かったと言われますが、正直、あまりあの時のことは覚えていません。長かったのか、短かったのか。覚えているのは、夕方外を見ると、急に雪が降ってきたということと、隣の生活介護事業所のメンバーの表情です。10人以上いる部屋で、誰一人声一つ出していない時間が確かに何分かあったことを覚えています。

いわきCILの事務所内にいた人が、ことの重大さに気づいたのは、事務所に戻ってきたヘルパーから、生活介護事業所のメンバーの家に行ってみたら、付近が水浸しで家の中に入れないと、報告を受けた時でした。私たちの仲間が一人、津波の被害にあってしまいました。

自分の自宅にもどれないと判断した人は、生活介護事業所に一次避難しました。唯一、電気が通っていたことは非常に助かりました。水がとまり、食料もなくなり、最終的にはいわきCIL内の自動販売機の飲み物で水分補給をする状態でしたから。でも、私が一番つらかったことは、いわきCILのスタッフとして何もできなかったことです。今思い返せば、やれることもあったように思います。しかし、動けませんでした。

ヘルパーさんたちは、ガソリンが無くなれば、自転車で利用者の自宅をまわり、次にいつ来られるか分からないからと、食料を「食べやすい状態にして帰るベットの上にいっぱい作って置いておいてくれ」と頼まれました。利用者の中には、車イスに座ったままの方や、ベットに横になったままの方もいました。なかには利用者の自宅に泊まり込みで、共に乗り越えた方もいます。

その繰り返しの日々の中で、利用者はもちろんヘルパーさんたちはどれほど葛藤したことかと思います。このメッセージを書きながら、私たちは、あの時のヘルパーさんたちの声をもっと聴かせてもらうべきなのではないかとも感じています。
私達障害当事者には、社会的な障害がそれぞれにあると思います。でも、気づかぬうちに助けられていたことも多くあると感じた日々でした。いわきCILのスタッフが、毛布、ジャンバー、食料等を持ち寄ってくれたことでも、そう感じました。

2年後の今、私は神奈川県にいます。何か福島の当事者としてできることはないだろうか。私にできることは、県外移住支援のサポートをすることと、映画「逃げ遅れる人々」の講演会でお話しさせて頂くことでした。

今日、3回目の3.11を迎えました。今まで関わって来た多くの方々の思いを伝えていくことが、私が生きていく限りしなければいけない仕事なのだと、思っています。

小野 和佳

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